第97話 がんばるばい熊本
今年は人生で決して忘れることが出来ない1年になりました。まさか熊本でこのような経験をするとは、果たして誰が想像したでしょうか。正直言って、東北の震災の映像は我々熊本の人にとっては他人事ではなかったでしょうか。熊本も昔から地震はありましたが、まあそんな大きな地震が起きることはないだろうと簡単に思っていました。少なくともあの時までは。
4月14日21時過ぎに最初の揺れを経験して、これはちょっと被害が出るかなという思いはありました。それでも、まあぼちぼち片付けたらそのうちに何とかなるよねという、今思えば甘い考えでした。翌日は普通に仕事も出来ましたし、揺れましたよね~って笑って話をしていました。仕事も終わり、さて週末は何をするかなと考えて眠りについたのですが、4月16日1時過ぎに2回目の揺れが起きてしましいました。あまりに大きな揺れでしたので、この時に初めて「死」ということが頭をよぎりました。大きな揺れと同時に停電となり、暗闇のなかで一夜を過ごしました。夜が明けて、テレビに映し出された映像は想像を絶するものでした。熊本城、阿蘇大橋、水前寺公園、益城体育館など思い出の場所が全て破壊されていました。
目を疑いたくなるようか光景を目の当たりにして、呆然としてしまいました。断水も発生して、熊本で水の心配をするとは思いませんでした。今回のことで、水の大切さがいやという程わかりました。水がなければ、我々は何も出来ないことが無くなって初めてわかりました。熊本では蛇口を捻れば飲み水が出るのが当たり前というのが、実は当たり前ではないというのを思い知らされました。トイレさえも使うことが出来ない不便さを嫌という程味わいました。
次第に明らかになってくる被害の大きさに、この先熊本はどうなるのだろうという不安が脳裏をかすめました。しかし、地震によって自分は一人ではないのだということを改めて知る機会にもなりました。全国からの支援には涙が出ました。自衛隊の方の尽力、全国から救援に来られた多くの方がボランティアとして頑張ってくれています。また、大好きなロアッソもヴォルターズも試合が出来なくなった代わりに、選手は各地に出向いて復興支援を頑張ってくれています。日頃は敵チームの選手や応援団の方からも、熊本がんばれというエールをたくさんもらいました。
当院は場所が近いこともあり、南阿蘇や西原村のお子さんが多数受診されていました。また大好きな阿蘇の美術館もかなりの被害が出ているようで、心配でなりません。それでも、南阿蘇や西原から遠回りをしてわざわざ受診してくれたお母さんがたからは、「家が倒壊しました」とか、「もう住めません」とかいう話を聞いたあとに、「先生は大丈夫ですか」とか「大変ですが頑張ってください」とか「顔を見たら安心しました」という言葉をもらいました。こちらが元気をあげなくてはならないのに、かえって元気や勇気を貰いました。
これからは少しずつ復興に向けて進んでいくと思いますし、いかなくてはいけません。甚大な被害ですので、そう簡単なことではないと思いますが熊本の人の力を合わせれば出来るはずです。地震を経験した子どもの多くが、夜に眠れなかったり、家で寝るのが怖かったりとかいう問題を抱えているようで、子ども達の心のケアが今後は重要になってくるものと思われます。未来を託す子ども達のために少しでもお役に立てるよう、頑張っていこうと思います。どうか、みなさんのお力も貸していただければありがたいです。
がんばるばい、熊本。
【2016年 5 月】
よしもと小児科 吉本寿美